札幌市・白石区の鍼灸院|医師との共同研究で磨かれた、やさしい鍼(はり)の専門家

谷地ヒストリー

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谷地一博

ロックンローラーから医学部、そして鍼灸師へ。

誕生〜青年期

1975年7月6日、札幌市の鍼灸師:谷地邦夫の長男として産まれました。

少年時代はロックンローラーと革命家に憧れていました。

 

高校卒業後、紆余曲折を経て、ロックンローラーになるために上京しました。

父親への反発心もあり、鍼灸が嫌いで、鍼灸師には絶対ならないと思っていました。

 

30歳になり、なかなか芽が出ない音楽に見切りをつけ、失意のうちに札幌に帰ってきました。

鍼灸との邂逅

鍼灸師だった父親の強いススメもあり、北海道鍼灸専門学校へ入学しました。

 

自分の夢が挫折したこと、鍼灸には嫌悪感があったことから、やる気のない学生でしたが、先生方の鍼灸に対する姿勢や、同級生たちの鍼灸に対する熱い想いに触れるうちに、鍼灸を始めとする医学に対して強い興味を持つようになりました。

 

その興味は、あらぬ方向に炎上し、医学について、人体についてもっと学びたいと考え、鍼灸師免許取得後、北海道大学医学部修士課程へ進学しました。

 

このとき、まだ、鍼灸師にはなりたくないと考えていたんでしょうね。

北大医学部時代

北海道大学大学院医学研究科腫瘍病理学分野に所属させていただいて、ガンの研究に携わりました。

 

ガンの原因である遺伝子の謎を解くため、ミクロの世界を探索する毎日。

 

2012年には、脳腫瘍の悪性化の原因となるマイクロRNAの特定に成功し、医学修士を取得しました。医学博士を目指し、より多くの人類に貢献することを目標に研究に没頭する毎日でしたが、ミクロの世界を探索すればするほど、実際の患者さんの症状からは離れていくような感覚に襲われました。

転機

転機となったのは、一人の20代の青年との出会いです。臨床を経験してみたいと、父の治療院で鍼灸師として担当した初めての患者さんです。

 

病院での診断名は逆流性食道炎でしたが、パニック障害も併発し、原因不明の体調不良が続き、仕事に行けなくなり、奥様とも別居し、病院でもお手あげ状態、最期の砦として鍼灸院に来院されたのです。

 

幸い、私の鍼灸治療で青年は快復していきました。半年で仕事に復帰し、奥様とも同居、1年後には子供ができたと報告してくださいました。

 

鍼灸にはすごい力がある。私は、医学部での研究以上の手応えと感動を鍼灸に感じました。そして、鍼灸に人生を捧げる覚悟をし、青年のように、現代医学や既存の治療法から見放されてしまった人達のための治療院を作ろうと決心しました。

開院に向けて

そんなとき、偶然にも、結婚前の妻が住んでいたマンションの隣に、ちょうど売りに出された物件があり、なんと、それは昔繁盛していた鍼灸院でした。

 

見た瞬間、運命を感じ、購入を決心しました。購入後、父:邦夫を中心として、家族の手でリフォームをしました。治療のことを「手当て」とも言います。手のぬくもりを感じられる治療院にしたいと、手作りにこだわって作業を進めましたが、かなり大変でした。

 

その様子はブログに書いてありますので、よろしければお読みください。作業はなんと、半年かかりましたが、無事、札幌市白石区に鍼灸院を開院することができました。

開院〜

2013年の開院以来、多くの患者様にご来院頂いています。既存の医療からこぼれ落ちた方のための鍼灸院というコンセプトで始めたわけですから、難しい症状の方も多く、大きな責任とやりがいを感じています。信頼と期待に応えるため、実技の向上と知識の研鑽は欠かせず、研修費は一年で新車一台分に達してしまいます。そのなかで、整動鍼に出会い、治療技術は飛躍的に進化しています。

 

現在は、月に一度、整動鍼の勉強会を主催し、技術の追求に努めています。

 

2015年1月には、札幌鍼灸師会主催の、鍼灸師に向けての実技講習会で講演させていただきました。その道何十年の先輩方を前に、実技の講演をするのは緊張しましたが、光栄なことであり、大変勉強になりました。

 

鍼灸は、知れば知るほど、その奥深さと可能性に驚かされます。この、不思議で素晴らしい鍼灸を皆さまにもっと利用していただき、世界中をもっと健康で笑顔溢れるものにしたいと夢見ています。

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